余白の過ごし方

作って、歩いて、また描く。
“生活者であること”を手放さない

Vol.2 漫画家 谷口菜津子さん

決められた予定や役割から、少し離れる時間。忙しい日々の中に生まれる余白にこそ、その人らしさがあらわれる。何をしているのか、何をしないのか。この連載では、さまざまな人の「余白の時間」のあり方を探ります。そしてそこから、見えてくるものとは?

谷口菜津子さん

神奈川県出身。漫画家。多摩美術大学在学中から漫画の執筆をはじめる。Web、情報誌、コミック誌等で活動。『comicタント』(ぶんか社)にて『じゃあ、あんたが作ってみろよ』、『webアクション』(双葉社)にて『まめとむぎ』を連載中。『教室の片隅で青春がはじまる 』(KADOKAWA)、『今夜すきやきだよ』(新潮社)は「第26回手塚治虫文化賞新生賞」を受賞。

谷口菜津子さんの余白のある1日

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』『今夜すきやきだよ』『まめとむぎ』など、日常に潜む違和感や葛藤を、食卓の風景とともに描いてきた漫画家・谷口菜津子さん。作品の中には、誰かと暮らすことの難しさや、言葉にしきれない感情の揺れが、生活者の視点で描かれています。漫画家というと、不規則に机へ向かい続ける日々を想像しますが、谷口さんはプライベートでも料理とお酒を愛し、SNSでは自炊の風景が綴られています。今回は、そんな谷口さんの「1日のスケジュール」を見せてもらいながら、「余白の時間」について伺いました。

08:00

起床・朝食・家事

朝食は前日の夕食の残りものやパンなど簡単に。週に1~2回はカフェで朝食をとることも。パートナーと分担しながら家事を済ませる。

09:00

執筆

12:00

昼食

冷蔵庫にあるもので、簡単に昼食を。

13:00

執筆

15:00

散歩や買い物

1日に一度は外に出る時間を意識的に。夕食の買い物がてら、緑道や公園を散歩し、季節を観察して。

16:00

執筆

18:00

入浴・読書

お風呂に入ったり、本や漫画を読んでオフの時間に切り替える。

19:00

夕食を作る

料理本を読んで気になっていた料理を作る日もあれば、冷蔵庫の中にあるもので考えて作る日も。

20:00

晩酌をしながら夕食・粘土細工など趣味の時間

パートナーと晩酌をしながら夕食を食べる。食べたあとはテレビを見たり、最近ハマっている粘土工作を作ったり。

24:00

就寝

描き続けるための生活リズム

朝起きて朝食を食べ、家事をして、仕事をする。1日に一度は外を歩き、夕方には仕事を終えて夕食を作り、夜はお酒を飲みながら手を動かす——。今回見せてもらった谷口さんの1日のスケジュールは、“生活”の輪郭がはっきりとしたものでした。意識的に生活リズムを整えながら暮らしていることについて伺うと、谷口さんは少し笑いながら、こう振り返ります。

「昔は昼夜逆転していました。全然、今みたいな感じじゃなかったです。」

きっかけは、自身や身近な人の不調だったと言います。

「身近な人が不調の時に、自分も不安定だと支えられないって気づいて。そこから徐々に生活を変えていきました。いい睡眠をとって、朝、光を浴びて外に出る。そういうシンプルなことが、崩れていた時はできなかったんですよね。でも元気になる方法を調べると、そのシンプルなことしか書いてない。じゃあ、そうするしかないなって。」

1日のルーティーンに沿って机を離れ、料理をしたり、散歩をしたり。そんなふうに、1日の輪郭を意識的につくっていったのだとか。

「ToDoリストをつくって、こなしていくのが楽しくなって。皿洗いとか、“編集担当にメール返す”とか、そういう小さな目標も全部書いてます。意外に自分はそういうことも好きなんだなって気づきましたね。」

「1日に一度は外に出るようにしている」と谷口さん。「家にいるとうっかりSNSの世界に入り込みすぎてしまう。空を見て、“ぷはーっ”ってしないと心が保てない感じもあるんです」

漫画家というと、不規則に机へ向かい続けるイメージがありますが、谷口さんはむしろ、“生活を整えること”を大切にしている人。

「ずっと仕事だけしてると、インプットする時間がなくなるんです。だから無意識に、“入れる時間”を作るようになったんだと思います。」

その“入れる時間”の1つが、外を歩くこと。

「同じ公園に行ってても、季節が1週間で全然違う。それこそ家にいたら気づかないですよね。みんなサンダル履いている季節なのに、間違えてダウン着て出ちゃったり(笑)」

健康のためだけではなく、季節や空気、自分自身の変化を感じる時間にもなっているようです。

料理は“小さな達成感”をくれる

そんな谷口さんの余白時間の中心にあるのが料理です。

「漫画って完成まで時間がかかるじゃないですか。でも料理は、その日のうちに結果が出る。しかも感想まで返ってくる。私にとっては癒しの効果もあるのかもしれません。」

締め切り前になるほど、なぜか煮込み料理を作ってしまうこともあるそう。

「“達成感くれ!”って感じで(笑)。私が仕事してる間に、鍋もどんどん美味しくなってるぞ、みたいな。」

忙しい時ほど時間のかかる料理をする——。一見、現実逃避にも見えますが、「切り替えてる感覚ではない」と言います。

「地続きなんですよね。煮込んでる間に仕事もできるし。」

けれど一方で、料理が“ちゃんとした生活”の象徴になりすぎると、自分を追い込んでしまうことも。

「この間、締切ギリギリなのに、気づいたら水餃子の皮をこねてて。“毎日料理してる自分にならなきゃ”って、なんか必死になってしまって。確かに手作りの餃子は美味しい、美味しいけど、何やってんだろう私、って(笑)」

そう笑う姿には、“生活を整えたい自分”と、“ちゃんとできない自分”の両方が同居しているようでした。

最近ハマっているのは春巻き。余った惣菜で春巻きを作ることも。「パリッとした皮の中に蒸し料理が入ってるじゃないですか。 簡単なのに複雑な調理工程が入っているのが面白いとこだなって思います」

この日の撮影では、海老+卵サラダ+生ハムの春巻きと、ゴーヤ+チーズ+クミンの春巻きをつくってくれた谷口さん。メキシコ旅行で買ってきた器に盛って、食卓に出してくれました。

「そもそも料理が好きになったのは、友人と3人でシェアハウスしてた頃なんです。友人が持ってた工芸の器に自分の料理を乗せたら、すごくおしゃれに見えて。“器1つで料理ってこんなに変わるんだ”って感動して。」

以来、器を“キャンバス”のように考えながら料理を盛り付けることも、楽しみの1つになったと言います。

時間があるとつくり進めている粘土工作は愛猫をモチーフにした置物。「粘土を形づくってオーブンで焼いて着色する。その手軽さも自分に合っているのかも」

そして話を聞いていると、谷口さんにとって大切なのは、“料理そのもの”というより、「手を動かして何かを生み出している時間」なのかもしれないと感じます。最近は、お酒を飲みながら粘土工作をすることにもハマっているそう。

「私、本当に何かを生産してないと落ち着かないんですよ。飲みながら段ボールで工作を始めたり、つくって満足して終わったり。気づけば何かつくってます。」

料理も、工作も、漫画も、どこか地続き。

「何かつくってる時が、一番“今、自分が存在してる”って感じなのかもしれないです。」

“別の価値観”に触れる時間

料理をすることと同じくらい、谷口さんが大切にしているのが、“自分の外側”に触れる時間です。料理本を読むことも、その1つ。はじめは「今日の献立をどうするか?」という視点で見ていたそうですが、読み比べるうちに、“読みもの”としても面白いと感じるようになったと言います。

おいしかったレシピやこれからつくりたいレシピに付箋を貼って。よくつくるのは料理家のワタナベマキさんや長谷川あかりさんのレシピ。

「材料に先生それぞれの個性があらわれてるんですよね。例えばワタナベマキ先生だったら、乾物とか昔ながらの食材を今に生かす料理だなあって思うし、長谷川あかりさんは“料理のストレスをどう減らすか”をすごく考えてくれてる感じがする。」

材料の組み合わせや段取り、その背景にある考え方を想像することが楽しいのだそう。

「実際につくってみると、より理解度が深まるというか。出来上がったものを見ると、自分の視野が広がった感じがするんです。」

読書の時間には漫画も読む。「漫画はインプットというより普通に読者として、エンタメとして読んでいますね」最近好きな漫画家は雁須磨子さん。食にまつわる本も好きで『台所に戦争はなかった』(著:魚柄仁之助・青弓社)では、さまざまな食べ物のルーツを知ったそう。

最近は、食文化や台所の歴史に関する本も読むようになりました。

「“古い価値観”って、ただ古いからダメっていう話じゃなくて、昔は必要だったから生まれたものでもあると思うんです。どうやってその価値観ができていったのかを知ることって、大事だなって。」

また、本だけではなく、人と話すことも谷口さんにとって、大切なインプット。

「自分と全然考え方が違う人とも、付き合うようにしてます。その人にはその人の正義があって、ちゃんと生活しようと思った結果の価値観だったりするから。漫画家であるパートナーのアシスタントを通して若い世代との接し方も考えるようになりました。自分が若い頃って、“上の世代はわかってくれない”って思ってたけど、今は逆側の気持ちもちょっとわかるようになってきた。どう接したらいいんだろうって、最近ずっと考えてます。」

谷口さんの著書『じゃあ、あんたが作ってみろよ』でも、主人公・勝男と鮎美を通して、男女間や世代間の価値観の違いが描かれています。ただ誰かを“時代遅れ”として切り捨てるのではなく、それぞれの立場や背景に目を向けていく。その眼差しが印象的でした。

「漫画でも、“自分が絶対正しい”みたいな描き方はしたくないんです。自分自身、すごく揺らいでるので。だから登場人物たちも、“答え”というより、“1つの意見”として描きたいなって思ってます。自分と考え方が違う人でも、その人なりに積み重ねてきたものがあるはずだから、否定したくないんですよね。」

年を重ねることも、物語になる

「ずっと漫画を描いていたいんです。」

そう語る谷口さんは、年齢を重ねること自体も、作品の糧だと考えているようでした。

「アラフォーになったから見えることもあるし、体調も変わってきた。でも、それも資料になってる感覚がある。」

これから50代、60代になった時、自分はどう世界を見るのか。その変化ごと描いていきたいのだと言います。

「昔は、“若い主人公を描かなきゃ”って思ってたんですけど、最近は、自分に近い年齢の人の漫画を読みたいって思うようになって。」

自分の未来を知りたい。だから、自分もまた、誰かにとって“未来を想像できる存在”になれたら——。そのためにも、“生活者であり続けたい”と谷口さん。

「仕事ばっかりだと、浮世離れしちゃう気がして。私にとってテーマは身近なことだし、生活がなくなったら描けなくなると思うんです。」

料理をする。歩く。本を読む。人と話す。季節の変化に気づく。そんな日々の余白の時間の中で、谷口さんは今日も、“生活者”として世界を見つめ、小さな気づきを拾い続けているのかもしれません。

谷口菜津子さんの余白時間のKEYWORD

  • 生活リズムを整えることで心に余白を

    睡眠をとり、外を歩き、料理をする。忙しい毎日の中でも、1日の輪郭を意識することで、心と身体のバランスを整えることにつながる。

  • “小さな達成感”が日々を前向きにする

    料理や工作など、手を動かして何かをつくる時間は、結果が目に見えて返ってくるもの。小さな達成感を積み重ねることが、自分自身を支える力にもなる。

  • “自分とは違う価値観”に触れることで視野をひらく

    本を読み、人と話し、外を歩く。さまざまな価値観や歴史に触れることで、“正しさ”を決めつけず、多面的に物事を見る視点が育まれている。

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