茅葺き屋根と聞くと、多くの方が岐阜の白川郷や京都の美山を思い浮かべるのではないでしょうか。茅乃舎のある九州では、佐賀の吉野ヶ里遺跡の復元建物もまた茅葺き屋根です。縄文・弥生時代から人々の営みのなかにあった屋根であることが分かります。
茅葺き屋根のある景色は、心なごむ日本の原風景。そんなイメージもありますが、実は多くの国々に存在し、ヨーロッパでは環境意識の高まりとともに新築もされています。また、デンマークのレス島には海藻で葺いた珍しい屋根もあるそうです。
日本ではかつて村々に屋根葺き師がいて、茅や稲わらなどで定期的に屋根を葺き替えていました。しかし昭和35年頃から便利なトタン屋根が主流となり、徐々に姿を消していったのです。
それでも茅葺きの技術は絶えることなく脈々と受け継がれ、現在も約200人の職人さんが日本各地で活躍していらっしゃいます。
茅乃舎の原点である、御料理 茅乃舎(福岡・久山町)の茅葺き屋根は、三百坪、つまり学校の体育館ほどの広さの建物を守る、とてもとても大きな屋根です。屋根を広げると田んぼ一反と同じくらいの面積にもなります。
御料理 茅乃舎は、2003年、茅乃舎社主・河邉 哲司と茅葺き屋根師の棟梁・三苫 義久さん(奥日田美建 会長)の出会いからはじまりました。母方の実家に残る茅葺き屋根を、三苫さんが葺き替えている現場に、河邉は居合わせたのです。
茅葺きの技術やこれまでの継承にいたく感動した河邉は、その場で三苫さんに相談。「茅葺きも、醤油やだしも、永く受け継がれてきた日本の文化。茅葺き屋根の料理店で私たちが考える食を提案することで、守っていきたい」と想いを語りました。
そして2年後の2005年に御料理 茅乃舎を開業。今度は「御料理 茅乃舎の味わいをお家でも楽しみたい」の声をいただき、茅乃舎だしがつくられたのです。
草木で葺かれた屋根は「稲わら3年、麦わら7年、茅30年、杉皮50年」と言われています。
ただ、茅葺き屋根師の三苫さんによると「昨今の高温多湿で、茅がもってくれるのは25年間くらいだろう」。そこで、御料理 茅乃舎が開業20年目の節目を迎える2025年をめざして、葺き替えの計画を進めることとなりました。
今回の葺き替えに使う新しい茅は1万5千把。いつも三苫さんが依頼されている阿蘇の茅場においてもすぐに集まる量ではないため、3年間かけてご準備いただきました。
新築時に続き今回も陣頭指揮をとってくださった三苫さんは、大分の日田出身。役場や農協、牧場などの勤務を経て、48歳で茅葺き師の修行をはじめたという、異色の経歴の持ち主です。
ご自身で奥日田美建を立ち上げた後も茅葺き、杉皮葺きに打ち込み、「民族建築の美を創る」を理念に各地の神社や文化財の屋根を葺いていらっしゃいます。
太宰府天満宮(福岡・太宰府)、亀の井別荘(大分・由布院)、伊藤博文の旧宅(山口・萩)などのほか、横浜市営動物園アフリカゾーンの東屋なども、三苫さんの仕事です。
実直なお人柄で、その仕事のていねいさには頭が下がるばかり。ご本人は「私ができるだけのことをして帰っていく。それだけです」とおっしゃいますが、見えない部分、裏の裏側に至るまでの繊細な仕事ぶりには、職人の技と魂があふれます。
御料理 茅乃舎の屋根は大きいだけでなく、軒が長くて、厚み1mに達するところもあります。全国の茅葺き師たちの間で「あれは葺くのが大変だろう」と話題になるほど。
確かに労力はかかるのですが、「私はいつも施主の方と同じ気持ちで葺いているから、苦労があっても気にならないです。一緒に作業をする職人にもそんな心持ちで葺いてほしいですね」と三苫さんは話します。
そんな三苫さん率いる奥日田美建には若い職人さんが多く在籍しています。御料理 茅乃舎の新築時には、茅葺きの作業を何日もじっと見続けた若者が「弟子にしてください」と申し込んできたエピソードも。
「行った先、行った先で若いもんが飛び込んでくるんですよ」と三苫さんが笑いますが、いざ足を踏み入れるとなかなか厳しい世界です。続かない人も多いのだとか。
「だからうちで働いてくれるだけで、本当にありがたい。棟梁として彼らを気遣い、言いたいことも控えめに、気持ちよく頑張ってもらわにゃと思っとります」。
新築時、三苫さんを筆頭に4人の職人さんとお手伝いのみなさんが葺いてくださった茅葺き屋根。そして今回、若手も含めて総勢16名が集まってくださいました。大分、熊本、佐賀、そして遠くは京都から駆けつけた職人さんもおられる、大所帯となりました。
御料理 茅乃舎が、茅葺きという伝統文化を、棟梁の三苫さんから後輩の職人さんたちに伝える場となり、少しでもお役に立てたならうれしい限りです。
そのほかにも、たくさんの人のお力をお借りして、茅葺き屋根はできています。阿蘇外輪山の草原で茅刈りをされている加賀志麻子さんもそのひとり。今回の葺き替えに向けて、3年間かけて茅を刈り、大切に保管をしてくださいました。
加賀さんにお聞きすると「良質の茅が育つのは、日当たりがよくて、風が強い場所。茅が完全に枯れた冬の期間に刈り取ります」。しっかり刈り取った後、野焼きをすることで、新しい茅が芽吹き、まっすぐ丈夫に育ちます。
茅を育て、刈り取り、野焼きする。このサイクルがあの美しく雄大な阿蘇の草原の景色を守っています。
ただ、茅が採れる茅場は年々減少しています。昭和30年代に茅葺き屋根が激減したことに加えて、農家の労働力となっていた牛や馬が耕運機に代わり、牧草が必要でなくなったことも要因のひとつです。人々は茅場であった草原に杉やクヌギを植えて、野焼きをしなくなりました。
ですから阿蘇の茅場で育てた茅は、貴重なものです。今回の葺き替えでも、まだ使える茅は手入れをして屋根に戻しました。屋根表面の古くなった茅も廃棄することなく、茶畑などにすき込み肥料にします。
自然の恵みである茅を、余すことなく使い切り、また土に還していく。茅葺き屋根の向こう側には、昔ながらの循環があります。
2025年4月29日。三苫さんをはじめ、さまざまな方のお力添えが重なって、御料理 茅乃舎の茅葺き屋根の葺き替えが完了しました。6月19日のグランドオープンを待ちながら、三苫さんは話します。
「緑が風に揺れ、せせらぎが流れ、小鳥の鳴き声が聴こえてくる。そんな山あいの自然のなかに、茅葺き屋根があり、店の人々のおもてなしがあり、おいしい里山料理がある。そのすべてが重なって、御料理 茅乃舎が完成する。私はそのように思っちょります」。
気ぜわしい日常を離れ、何かを求めて御料理 茅乃舎を訪れてくださるお客様たち。「お食事後、ふと茅葺き屋根を見上げて、何かを感じてくださったら、嬉しいなあ。お客様が土産話として持って帰れるような屋根を、これからもつくりたかですね」と三苫さんは続けてくださいました。
御料理 茅乃舎の開業から20年。「茅葺き屋根も、滋味深い里山料理も、茅乃舎が大切にしている“だし”も、未来に残していきたい日本の伝統文化である」。その想いは変わることなく、今、そして未来につながっています。
職人の皆さんから「また20年後の葺き替えで集まりますよ」との心強い言葉もいただき、茅葺きへ強い想いと技術が受け継がれていく道筋を見ることができました。
まっさらな茅が黄金色に輝く、新しい茅葺き屋根。そのもとで、ゆったりと味わっていただきたい料理も日々新たに生まれています。おいしくて豊かな時間が流れるこの場所に、皆さんどうぞおいでください。
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